名山の周辺には銘川がある
名山の麓にはたいがい素晴らしい渓流が何本か流れていて、コンディションの良いイワナやヤマメやアマゴを育んでいる。名山は、水源としても一級なのだろう。
岩手の名峰・早池峰山も例外ではない。
早池峰山付近を源頭にして、東方向に流れる薬師川。西方向に流れるのが岳川(稗貫川)。北方向には御山川が流れだす。
東北でも屈指のフライフィッシングフィールドの名が連なっていて、地図を見るだけでワクワクしてしまうほどだ。
この取材では、このうち御山川と岳川(稗貫川)を釣ってみた。取材日は数年前の6月中旬。このエリアでは、雪代の終わる5月下旬くらいから一気に盛期に入る渓流が多く、梅雨明けくらいまでがベストシーズン。スレた放流魚の多い関東周辺の渓では考えられないような、おおらかなフライフィッシングを満喫できる。
霊峰・早池峰山
早池峰山。標高1917m。北上山地の最高峰だ。
この地にのみ生育する固有種の高山植物が多いことで知られ、高山植物好きの登山者には人気の高い山である。
平安時代の初期、大同2年(西暦807年)に建立されたとされる早池峰山山頂の早池峰神社は、この地の山岳信仰の中心で、今なお奉納神楽である岳神楽(重要無形民俗文化財)が伝わる。
早池峰山は霊峰なのだ。
早池峰山は、岩手山、姫神山とともに「岩手三山」と呼ばれ、多くの神話も残されている。岩手山の妻である姫神山をめぐる男女関係のもつれの話なのだが、ストーリーに様々なバリエーションがあって趣深い。興味のある方は調べてみるとよいだろう。
余談になるが、早池峰神社が建立されたとされる大同2年という年は、火山噴火などの天変地異が多かったとされ、それを鎮めるために全国各地に多くの寺社が建立された年とされている。神楽の起源もこの大同2年とされている。
北側を流れる御山川御山川は、早池峰山の北斜面を流れる閉伊川の支流。
閉伊川との合流点付近の最下流部ではヤマメも混じるが、流域のほとんどはイワナ中心の山岳渓流だ。
盛岡からのアクセスが良いためだろう、釣り人の姿は時々見かける。この日入渓したポイントにも先行者がいた。
しかし北東北の渓では、さほど先行者を気にする必要がないことが多い。先行者が去ってから20分もすれば、渓魚達は再び付き場に戻ってくることが多いのだ。
この日も、しばらく先行者の下流側へ歩いて、そこから釣り上がってみることにした。

期待通りイワナの反応は上々。
季節的にはメイフライやカディスといった水生昆虫の羽化がひと段落して、渓魚の食性はテレストリアル中心に切り替わる時期だが、この日のイワナ達は、フライを選ぶことなく、大きめのドライフライをおおらかにくわえてくれた。この時期の山岳渓流ではフライパターンに神経質になる必要がないことが多い。1年で最も食欲旺盛なこの季節のイワナ達は、喰えそうなものになら何にでも飛び出すのだ。
ライズも所々で見られる。さすがは盛期の東北。こうでなくてはいけない。
まとまったハッチがあるわけではないので、ライズも散発。3月、4月のフライフィッシングでこうしたシーンに遭遇すると、興奮して慌ててしまうこともあるが、この時期のこの川では落ち着いていられる。
フライセレクトもいい加減なもの。流下物を確認することもなく、その時に結んであるフライを気軽にキャストしてしまう。それでもナチュラルドリフトにさえ気を配れば、たいがいは数投のうちにイワナはフライに反応してくれる。
この日は、そんなベストシーズンの東北ならではのフライフィッシングを楽しむことができた。
反対側を流れる岳川へ
さて岳川は御山川から見ると、早池峰山を超えた向こう側の西斜面を流れている。
御山川から岳川に出るには、国道106号線を盛岡方面へ走り、区界峠を超えてから12kmほど進んだ地点で県道43号線に入り、根田茂川沿いを進む。峠を越えた先で早池峰湖に出るが、その上流が岳川で、御山川から50km少々、1時間強のドライブとなる。
岳川(稗貫川)は北上川の支流。早池峰湖インレットから上流へしばらくの区間は里川。嫁ヶ淵付近から上流は山岳渓流。イワナ中心の渓流で、白斑の大きなエゾイワナ系の個体が多いが、時折、朱点の鮮やかなニッコウイワナ系のイワナも釣れる。
岳川は、どうも不思議なフィールドで、こんなに沢山イワナがいるのかと驚くほど沢山釣れる日と、盛期にもかかわらず、まるっきりフライに反応がない日とで、両極端な印象がある。

そうした印象を持っている人は他にもいるようで、何人かのフライマンから同様の話を聞いたことがある。
この日はどうも、悪いほうに当たってしまったようだ。
全くフライに出てくれない。先ほどの御山川での、どんなフライにも気前良く飛び出してくれたイワナ達は夢だったのか、と疑いたくなるほどである。こちらでは手を変え品を変えフライ交換をすることになった。テレストリアル、エルクヘアカディスやフローティングカディスピューパ、ソラックスダンやフローティングニンフなど、思いつく限りのフライを流してみるが、反応はない。
入渓ポイントを移動しても事態は変らない。そうしているうちに辺りは次第に薄暗くなってきてしまった。以前にいい思いをした開けたポイントに移動して、ラストチャンスに賭ける。が、6月のイブニングというのに、ライズは始まらなかった。
結局、この日の岳川では、二人で釣って一度も渓魚はフライに反応してくれることはなかった。どうやら早池峰の神は、相当な気分屋のようだ。