■鳥海山を水源とするフライフィッシングの好フィールド
山形県酒田市を流れる日向川。
霊峰・鳥海山(ちょうかいさん)の沢水を集め、庄内平野を経て日本海に注ぐ独立河川だ。

フライフィッシングに限らず渓流釣りでは有名なフィールド。源流域まで林道が走り、車でアプローチできることもあって、人気が高い。
日向川の下流域は以前はヤマメの好フィールドだったが、2011年に支流の鹿ノ俣川で崩落があり、その際に油が流出した。その影響で鹿ノ俣川との合流点より下流の日向川は、渓魚の棲息が極端に少なくなってしまった。
川底に付着した油のせいで、水生昆虫の棲息が激減したことも大きいだろう。
現在の日向川は、鹿ノ俣川との合流点より上流が渓流釣りの核心部。イワナ中心のフィールドとなっている。
■「神の山」鳥海山。「神聖な流れ」日向川。

日向川の水源・鳥海山は、山形県と秋田県の県境に位置する銘峰。標高2,236mは東北では2番目の高峰だ。
山頂付近の積雪は年間通して溶けることがない。万年雪だ。
今回の取材は2017年7月上旬だが、この日の鳥海山にも多くの雪渓が見られた。
「出羽富士」、「庄内富士」とも呼ばれる鳥海山は、富士山と同様の成層火山。
太古の昔からたびたび噴火を繰り返す鳥海山は、山そのものが火を噴く神、「大物忌の神(おおものいみのかみ)」として崇められていたそうだ。
つまり鳥海山そのものが御神体。まさに「神の山」という表現がぴったりくるかもしれない。

そんな神の山・鳥海山は、山伏(やまぶし)の修行の地としても知られる。
山伏とは修験道(しゅげんどう)の行者のこと。修験道は山ごもりをしながら厳しい修行をする山岳信仰だ。
鳥海山の修験道は「鳥海修験」と呼ばれ、戦国時代よりも前、南北朝時代に始まったとされる。
その鳥海修験では、水に対する信仰が深いそうだ。鳥海山を水源とする山形県側の代表的な二本の渓流は、それぞれ、「日向川」、「月光川(がっこうがわ)」と名付けられ、神聖な存在とされたのだという。

今回取材した日向川。その隣を流れる月光川。日向と月光。なんとも気の利いたネーミング。
その月光川も、春のマッチング・ザ・ハッチを楽しめることで有名なフライフィッシング・フィールドだ。
■水量多めの日向川
この日の日向川は水量が多い。漁協の方によれば、前日にまとまった降雨があったそうだ。
しかし濁りは全く入っていない。川底の石までくっきりと確認できるクリアな流れだ。溢れる緑が眩しい神の山。透明で美しい神聖な流れ。少し贅沢な気分のフライフィッシングだ。
さて、普段のこの時期なら瀬を渡ることも難なくできる。が、水量の多い今回は、それができない。流れは写真の印象よりもずっと深く太い。

そんなわけで、立ち位置がずいぶんと限られてしまう。映像で見ると、のびのびとロッドを振っているように見えるが、実際には少々窮屈なフライフィッシングをしているというわけだ。
とはいえ窮屈なのは釣り人側の都合。東北の山岳渓流のイワナたちは、この季節、元気いっぱいということが多い。
この日も日向川のイワナたちは、次々に大き目のドライフライに挨拶してくれた。
■もう一、二歩

ところが、せっかくフッキングしても途中でハリが外れてしまうケースが多い。かかりが浅いようだ。
その原因はおそらく立ち位置にある。
もう一、二歩ズレた場所からキャストしたい、というシーンが多かったこの日。本来立ちたい位置が深かったり、流れが強かったりして、それがかなわない、ということが多かったのだ。
イワナがフライをくわえる瞬間、その一、二歩ズレている分のドラッグがかかっていたのではないかと思っている。
それでもおおらかなイワナたちは、ドラッグがかかって喰いづらいフライにもフッキングしてくれていた、ということなのだろう。
■堰堤下。岩盤脇のスジから出た尺イワナ
今回入渓したのは、油が流出した鹿ノ俣川合流点から1kmほど上流。白沢川が流れ込む位置にある橋の前後だ。

この橋の上流側に堰堤があるが、漁協の方の話では、その堰堤の上下はなかなかの有望ポイントだそうだ。
堰堤下のプールではライズを見かけることが多いという。
この日、尺イワナが遊んでくれたのも、その堰堤下。
大きなプールの岸際の岩盤脇には白泡のスジができている。いかにもイワナの気配が漂う流れだ。
実際このスジでは、何匹かのイワナがフライに飛び出してきた。全てフッキングしたのだが、ネットに収めることができたのは、実はこの尺イワナだけだった。

このときティペットに結んでいたフライは、先月(2017年6月)の「今月の一本」で紹介した「フローティング・クロカワムシ」。フックサイズは#12。
このイワナはそのフライをがっぽりと飲み込んでいた。
おそらくドラッグがかかることなく、フライはナチュラルに流れていたのだろう。喰い方は落ち着いて吸い込むような感じだった。
おかげでフッキングはガッチリとキマリ、この尺イワナはフックから外れることなくランディングネットに収まった。
野性味に溢れているが顔立ちはおっとり。いかにも東北のイワナらしい。
■イヌワシも飛ぶ鳥海山の豊かな森
ところで、ここ鳥海山の森はイヌワシが生息することでも知られる。今回の取材ポイントも、そのイヌワシの行動テリトリー内にある。

この日はイヌワシを目にすることはなかったが、それもそのはず。イヌワシの個体数は極めて少ない。そして、その行動範囲は驚くほど広い。
よほどの幸運がなければ、イヌワシと出会うことはないのだ。
「イヌワシを見た」という登山者は多いそうだが、それは他の猛禽類の見間違えがほとんどだという。なにしろここ鳥海山の森には、オオタカやクマタカなどタカやワシの仲間が14種も生息しているのだ。
そんな豊かな森なので、もちろんクマもいる。ここは鳥海マタギが活躍した森でもあるので当然といえば当然だ。
漁協の方が教えてくれたのだが、この取材ポイントからわずか数十メートルの場所にクマの通り道があるという。フライフィッシングも十分に気をつけて楽しみたい。